第6章 比較心理学
心理学概論
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6-1. 比較心理学とは何か
6-1-1. 比較心理学研究の目的
比較心理学: 人間と他の動物の行動との比較を通じて、人間の心の働きを明らかにしようとする学問
広義には比較文化的な心理学を含むことがある(第13章 文化心理学)
多くの場合比較の対象は動物であり、動物心理学という呼称と同義に使われることも多い
心理学以外の学問的アプローチも援用することが増えているため比較認知科学という呼称が用いられることもある
比較心理学の研究には大きく2つの目的
人間に比べ取り扱いが容易な動物を使って実験することで、人間にも共通する心の働きの基本的な特徴を明らかにしようとすること
特に20世紀初頭から中盤にかけては盛んに行われた
動物を使えば、厳密な実験的統制のもと、様々な条件を変えた実験を繰り返し行うことも比較的容易
人間と他の動物で異なる部分を洗い出すことで、人間の心の働きに見られる特徴を明らかにしようとする
6-1-2. 心の働きと環境への適応
人間にせよ、他の動物にせよ、それぞれが持つ心的能力は、それらの動物が暮らした外界の環境に適応でする形で変化してきたものと考えられ、その意味で心の働きに優劣はない
色の知覚  
視細胞: 反射光が眼球に入り、網膜の視細胞が興奮することによって色というものが感じられる
桿体: 感度が高く、暗闇で機能するが色覚にはほとんど関与しない
錐体: 色の知覚に関与する
人間の場合、長い波長から順に赤錐体, 緑錐体, 青錐体があり、これらの興奮パターンで色が近くされる
哺乳類のほとんどは赤と青の2色型
人間と同じ3色型なのはニホンザル、テナガザル、チンパンジーなど哺乳類のごく一部
赤と緑は色の波長が近いので、僅かな色の区別もできるが、緑と青の間はあまり区別できない
哺乳類の祖先が恐竜などの外敵を恐れて夜型の生活をしていたからではないかと考えられる
暗闇では色の識別よりも感度の高さが重要なので、色覚を犠牲にして2種の錐体を残し、より感度の高い視覚を手にした。
恐竜の絶滅後に繁栄した一部の哺乳類は、太陽光のもとで果実などを選り分ける必要性が生じたため、進化の過程で錐体を取り戻したという仮説が立てられている。
鳥類は赤、緑、青、紫の錐体を持つ4色型
アゲハチョウは赤、緑、青、紫、紫外線を見ることができる5色型
6-1-3. 進化論と比較心理学
比較心理学を支えているのはダーウィン(Charles Darwin: 1809-1882)の「進化論」
人間も他の動物と共通の祖先を持ち、自然選択(自然淘汰)のプロセスを経て現在に至るという考え
他の動物との連続性を仮定しない限り、人間を動物と比較しようという発想は生まれえない
比較心理学が興隆を見せるのは進化論が提唱されて以降のこと
ダーウィンが自身の言葉で人間と動物との間に本質的な違いがないことを明確に述べたのは『種の起源』から10年以上のちに出版された『人間の由来』
教会の反発を恐れた
なお、ダーウィンの個別の業績の中で心理学に最も直接的な影響を与えたのは『人及び動物の表情について』(Darwin, 1872)
人間と他の動物に共通する感情表出の原理が説かれている
特に基本感情と呼ばれる通文化的で原初的な感情に関する研究へと発展
ダーウィンの後継者として比較心理学の基盤を作ったのはロマーニズ(George Romanes: 1848-1894)
『動物の知能』(Romanes, 1882)の中で様々な動物の優れた能力(彼は知能とよんだ)を紹介
人間と動物の知能には質的な違いはなく、量的な違いにすぎないことを強調した。
ロマニーズが取った研究手法は逸話法は事実解釈が入り混じり、動物の擬人視に歯止めがかからなかった。
動物が人間的な知能を示したように見えるエピソードを集め、それをもとに考察するというもの
モーガンの公準
モーガン(Conwy Morgan: 1852-1936)「低次の心的能力で説明できることを、高次の心的能力で解釈すべきではない」という節約の法則を主張した(Morgan, 1894)
6-2. 動物を対象とした実験研究
ソーンダイク(Edward Thorndike: 1874-1949)の問題箱
https://gyazo.com/456532f26bf5f4af063832c085d47573
source: Edward Thorndike: Puzzle Box & Explanation | Study.com
複雑な構造の箱に空腹のネコやイヌを閉じ込めて、そのからくりを解いて箱から脱出するまでの時間を計測した(Thorndike, 1898)
経験を繰り返すと脱出という問題解決までにかかる時間は短くなり、誤反応も目に見えて減っていく
ソーンダイクはこのような試行錯誤学習に人間と他の動物との質的な違いは認められないという
比較心理学は実験の工夫しだいで動物の心により深く迫ることができ、人間との興味深い比較をすることができる
6-2-1. 弁別学習を用いた実験
第4章 学習心理学で紹介された道具的受験づけを利用したハトを対象とした実験
ハトに長さを区別できるよう弁別学習させた
そのうえで第3章 知覚心理学で紹介したミュラー・リヤー錯視の図形を提示したところ、外向きの矢羽が付いた方の線分に対して「長い」に対応するキーを押す傾向が見られた(Nakamura et al., 2006)
ミュラー・リヤー錯視を見た時に人間と同じような錯視がハトに生じている
同様の手法を用いてエビングハウス錯視が起きるかどうか検討したところ、エビングハウス錯視では人間と反対方向の錯視が起きていた(Nakamura et al., 2009)
6-2-2. 期待違反法を用いた実験
動物を対象とした実験では乳幼児を対象に開発された研究手法が利用されることもある(その逆もある)
期待違反法を用いた実験
期待違反法: 期待に反することが起きた時は驚いて事態を確認する行動が見られることが知られている
声とモニターの写真が一致していないときにはイヌはモニターを長い時間みることが明らかになった
この結果から、イヌは声を聞いた時点で飼い主の顔を思い浮かべていたことが示唆された(Adachi, Kuwahara, & Fujita, 2007)
6-2-3. マークテスト(ルージュテスト)
マークテスト(ルージュテスト): 動物に麻酔をかけて眠らせ、おでこなどに染料を塗って、鏡を見せたときに染料に気がついた行動が見られれば、自己認識ができているのだと判断できる(Gallup, 1970)
チンパンジーに行うと染料を拭おうとするなど自己認識ができていると思われる様子が伺える
オランウータンやボノボなどの類人猿、ゾウやイルカも自己認識を伺わせる行動が観察される
ニホンザルなどのサルはこのテストを通過できない
人間も生後すぐは鏡映像を認知できない
1歳~2歳半程度になって、ようやく自己認識ができるようになることが明らかになっている
「鏡の中の自分」がわかる魚を初確認、大阪市大 | ナショナルジオグラフィック日本版サイト
6-3. 霊長類の研究
6-3-1. 言語獲得の研究
1960年代からアメリカを中心にチンパンジーに人間の言語を教える試みが行われてきた
チンパンジーの場合、発声器官に解剖学的な制約があり、母音を出せず、それに呼応するように母音の弁別も得意ではないため、音声を使わない視覚性の言語の訓練が行われている
ガードナー夫妻はワシューというチンパンジーに手話を教えると、3年半で130語あまりの語彙を覚え、それらをつなぎ合わせた2語文や3語文も手話で表現できるようになった(Gardner & Gardner, 1969)
プレマックはサラというチンパンジーに色を付けたプラスチック片を使った人工言語を教えた(Premack, 1971)
重文や条件文のように、かなり複雑な構造を持った文にも対応できるようになった。
音声に頼らなければ、チンパンジーにもある程度の言語が獲得できることが明らかになった
6-3-2. アイ・プロジェクト
アイ・プロジェクト: 1977年11月にアイという名のチンパンジーを中心に始まった研究で現在も継続中(松沢, 2009)
初期の研究成果(松沢, 2008)
9つの記号素(要素図形)を組み合わせて作った単語を理解し、それを再構成することもできるようになった
複数個の色のついた物体を、色、形、数の3語で記述したり、語順によって意味が変わる文を覚え、「近づいた人」「近づく」「近づかれた人」という順で表現できるようにもなった
このようにチンパンジーには訓練さえすれば、かなり柔軟に言語を操作できることが明らかになっている
視覚的な記憶、一時的な記憶(作業記憶)の記憶容量は人間をはるかに凌いでいる(Inoue & Matsuzawa, 2007)
アイや息子のアユムはパソコン画面のランダムな位置に提示された複数の数字を瞬間的に覚え、その数字が消えても小さな数字から大きな数字へと数字が提示されていた順に画面を指でたどることができる
人間にとっては言語が、チンパンジーにとっては視覚的な記憶能力が生存のためにより重要な機能だったと考えられる
アユム(息子)が生まれた後では、母子間で知識がどのように伝達されていくかなど、親子関係に着目した研究も多く行われている
従来の霊長類位研究は生後間もなく子を母親から離し観察するものが多かったので、ユニークな試み
6-3-3. 社会的知性への関心
比較心理学の研究は個体レベルのものが多かったが、個体間の関係性=動物の社会性をテーマとする研究が増加しつつある
霊長類も人間も群れで生活する
集団生活の中で仲間関係を成立させる社会的知性に関心
社会脳仮説(Dunbar, 2009)もしくはマキャベリ的知性仮説(Byrne & Whiten, 1988; Whiten & Byrne, 1997)
脳容量の増大はコストを越える何らかの有益性がある
動物は体重が重いほど脳容量は大きいが、哺乳類、特に霊長類は身体の大きさに比して脳が非常に大きい
脳の維持・成長には極めて高いコストがかかる
人間の脳は体重の2%で食べ物から摂取するエネルギーの20%以上を消費する
飢餓が人間の主たる死因の一つだったことを考えれば、進化の過程でこれほどエネルギー効率の悪い器官が淘汰されないばかりかますます増大したのはコストを越える何らかの有益性がある
この仮説では霊長類の脳が大きくなったのは、固定的なメンバーで群れをなして生活するようになったことが大きな要因だと考える
集団生活はそれによってできることが飛躍的に増加する反面、集団内での地位や他個体との関係性が生死や子孫の存続を左右することおになる
相手の気持ちを適切に読み取り、信頼関係を築くだけではなく、時には相手の裏をかいたり、相手の裏切りを察知して制裁を加えたりするなど、ある種の権謀術数を駆使する能力が発達したと考える
マキャベリ的知性: 霊長類が集団生活の中で必要とされる知性
マキャベリの『君主論』に匹敵する権謀術数が集団生活を営む上では求められることから
霊長類の心の働きは自然環境だけでなく、社会環境にも適応するものとして進化したと考えられる
霊長類の脳のうち、他の哺乳類に比べて特に大きくなったのは大脳の一番外側の、進化の過程で最もあとになって発達した大脳新皮質(第5章 生理心理学)
マキャベリ的知性仮説を支持するかのように、この部分が脳全体に占める割合は一緒に生活する集団のサイズが大きい種ほど大きいことが明らかにされている(Dunbar, 1992)
集団サイズが大きくなれば、それだけ個体間の関係性は複雑化するため、それに応じられるだけの知性が持てるよう、大脳新皮質が増大していったと考えられる
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